もりやま夏まつり MENU
もりやま夏まつりの歴史
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もりやま夏まつりの歴史
かつて守山はホタルのまちでした・・・。
まちなかにホタルが乱舞しており、皇室にホタルを献上する「献上蛍」を伝統的に行っておりました。先人の努力の甲斐あり、大正時代(1924年)には守山のゲンジボタルが日本初の天然記念物認定を受け、守山は名実ともに「日本一のホタルのまち」となりました。
当時の新聞はホタルのイベントを「名物・守山の螢デー」と大きく取り上げ、50万匹が舞ったと記録しています。ホタルが舞う時期には「蛍列車」なる特急列車が京都・大阪から多くの見物客を運んできていました。
しかし琵琶湖の汚染により、守山の蛍は年々減り続け(1953年の新聞が危機を伝える)、1960年にはとうとう天然記念物指定を解除され、その後ほぼ絶滅してしまいます。それに伴い「螢デー(ホタル祭り)」は消滅してしまうのです。
それらを残念に思った地元「守山町観光協会」と「守山商工会」が、当時の賑わいを取り戻そう、守山の新たな名物にしようと始めたのがのちにもりやま夏まつりとなる「第1回七夕まつり」でした。
ときは1969年(昭和44年)、アームストロング船長が人類で初めて月面に降り立った年のことです。
それ以来、名前や形、主催団体を変えながら今日まで継続しております。
守山町が守山市になったのは1970年。その1年前から「もりやま夏まつり」の歴史は始まっているのです。
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